++離婚した人への言葉++

身近な人が離婚するらしい、もしくは離婚した。ということでココを訪れて来た人のために、離婚した人間がどういう言葉をかけられるのが、しんどいのか、ということについて、ちょっと触れてみたいと思います。
以下の台詞は実際に、言われたことのある台詞です。複数の人に言われた台詞もあります。いい加減、うんざりだなぁと思う台詞をちょっと挙げてみたいと思います。

   

「子どもがかわいそう」

直接的にはやはり言いにくそうですが、遠回しな表現で言われますし、人が他人の離婚について話している時に必ず出てくる言葉です。ですが、子どもがかわいそうなことは、離婚し本人が一番よくわかっていて、だからこそすぐにはできなかったはず。私も実際に、離婚したいと感じてから4年半もかかってしまいました。実際に理由をみんなに話して歩くわけにはいきませんが、我が家の場合、子ども達もある意味、離婚によって救われた部分もあるのに、ただ私の我がままのように言われてしまうのは心外なのですが。

「でもさ、勇気あるよね。私は一歩踏み出せないわ。」

離婚した夫婦はさまざまな理由があり、どこも一概に夫が大変だったからとは限りません。
だけど、「勇気」なんて言っていられないくらい、本当に逃げ出したい!辛い!からこそ離婚するのです。離婚を決意するほどでもない悩みならば、極力離婚なんてしたくありません。それでもどうしてもしたい!!という思いができるほどに、辛い経験をしているのだということを、少し想像してあげて欲しいと思います。特に、子どももいるのに(しかも複数)離婚したいっていうのは、相当大変やっかいな御主人かもしれません。人に言えないだけなのです。

「まぁ、またいつかいい人ができるよ。」

「とーこちゃんなら、またすぐにいい人見つかるよ。」という台詞。本当に何度言われたことか。だけど、その台詞、言われた方は実は、「あなたの結婚は失敗だったのよ」と念を押されているような不快感があるのです。勝者が敗者を慰めているような言葉であり、実はすごく上からモノを言われている気がしてしまうのですよ。(^_^;; それに、本当に私は再婚なんてしたくない。結婚に懲りて、夫婦に懲りています。1〜2児の母と、3児の母とでは、実は離婚率に差があるのを御存じでしょうか?そう、3児以上いるのに離婚している人というのは、確実に相当やっかいなだんなさんのはずです。3児以上いても離婚したいくらいに辛い相手なわけです。そのあたりを、少し想像して下手に励ましたりしないで、そっとしてあげてください。

「よく何もかも手放せたね」

それは「手放すもの」がある人の言う台詞。私には手放すものはありませんでした。普通に会社勤めをしていた2年ですら、浮気をしていましたし、「安定した幸せ」なんてとっくに失っていたのですから。乳飲み子をかかえてパソコンに向かったり、朝から晩まで取材に出て帰っても、失業中の夫は洗濯や掃除はもちろん、御飯の支度すらしていない。そんな状態でした。「無くす」ものがあるから辛いのです。手放したのではなくて、解放されたと言う感じでした。

「貧乏はどこも同じよ。」「うちも借金あるよ。」

特に、専業主婦しておいて、この台詞を言うのは正直やめて欲しいなぁ。本当に多額の借金のある生活をしたことがないとわからない感覚です。だんなに食べさせてもらっている人と自分が『絶対に』働かなきゃいけない立場とは。同じじゃありません。簡単に「どこも同じよ。」って言われると、驚きます。違うと思います。マンションや家を買ったローンと一緒にされてしまうのも、全然意味が違うと思います。生きていくのが大変なほどの貧乏を味わった人なら、きっと、この台詞は出てこないでしょう。

「うちの旦那も出張が多いから、ばついちと同じくらい大変よ。」

「同じ」「同じ」ってなぜ人は言いたがるのでしょう。違います。絶対に。精神的に頼れて信頼できる夫がいるのと、いないのとではまったく違います。出張していようと、勤務時間が長かろうと、その御主人は、家庭を守ってくれてるでしょう?帰ってくるでしょう?相談に乗ってくれるでしょう?物理的な一人と、ばついちとは違う。同じだと言われることは全然ばついちの女性にとって嬉しくないことなのです。むしろ、悲しくなります。違うことは否めないのです。

「養育費ちゃんともらってるの?」

とても驚いたことに、初対面のママ友達に聞かれました。関西が土足で踏みにじるほど勝手に人の心に上がり込むタイプが多いのはわかっていたけど、それにしても驚きました。(^_^;
養育費とか、離婚理由とか、そんなことはよほど親しく無い限り、突っ込まないのがマナーです。
本当に理解して欲しい時は、きちんと離婚した人自身から話してくると思いますよ。

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離婚した人っていうのは、特に、離婚前後はすごくナーバスになっています。そっとしておいて欲しいものなのです。やっと肩の荷を下ろしたところです。下手に励ましたり、慰めたりするよりも、「なんかおいしいもの食べにいこうよ」とか「これから好きなこと楽しめるといいね」くらいにしておくのが無難です。結婚が失敗だってことは、本人が一番わかっているし、本人が一番辛いはずなのです。子どもを持つ身なら、本当に先行きのことで頭がいっぱいです。

また、パートナーについては、正直すぐには考えられない人が多いでしょう。パートナーが欲しいとすら思っていない人もたくさんいます。(壊れた度合いによるでしょうけど。)いきなり男性を薦めるのもちょっと引いてしまいますので、御遠慮願いたいところです。(^_^;

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++離婚した後に言葉をかけられたら++

さて、逆に離婚した自分自身が、前出のような言葉をかけられたら。

そう、それでもたくましく生きて行く覚悟が必要です。ちょっぴり心は痛むけど、それも自分の選択の結果です。それぞれの夫婦に、それぞれの悩みがあります。覗いてみないとわからない世界があるのです。結婚していても、夫婦が壊れている時点で孤独感はあります。でも、どんな壊れた夫婦でも、結婚しているのと、離婚したのとでは、自分の身にのしかかってる責任は違います。さらに重いです。精神的には、壊れた夫婦を続けているのは、ばついちよりも、精神的にはある意味酷だったりしますが、責任という意味では、本当に重い。

そんなわけで、立場の違うママ友達とのつきあいは、結構疲れます。そこそこつきあえても、長くいると疲れることもあります。同じばついちのママを探したり、また、ネット上で同じ立場の人を探すのも一つの手だと思います。

ただし、私自身の好みだけで言えば、私は、いつまでも「ばついちでもがんばってます!」みたいなことを前面に打ち出しているようなサイトで、いつまでも「ばついち」という状況に向き合っているよりも、普通に毎日を生きていくことの方が健康的だと思います。子育てでもすぐに「子育てに奮闘中」とか言う人や、自律神経失調症などでもすぐに「闘病生活」などと言う人がいます。でも、実際は、真正面から向き合わない方が、スムーズに運んだり、自然と生きていけるものです。私は自律神経失調症だと言われ、闘病日記とやらもつけたのですが、あまり面白くないので辞めました。(^_^;; 子育てって奮闘してするものでもないし、子どもを育ててるのではなくて、子どもを育てることによって、私達が育ててもらっているのです。奮闘していては、共倒れになっちゃいますし、まわりが見えなくなってしまいますよね。

結婚は人生の最大の賭け
離婚は人生の最大の選択

だと、私は思います。選択して自分で自分の道を歩いていけるのです。孤独に見えて、物凄く自由なことなのです。解放でもあるのです。

いつまでもくよくよと向かい合っているよりも、自分の身に起きてしまったことを、『抱えながら前を向いて歩く』。どんな時も、前を向く。そうしているうちに、自然となぜ結婚を失敗したのか、なぜ、そんな夫を選んでしまったのか、などと言うことに気づくでしょう。そのうちに、自分の欠点や、自分の思考の落とし穴に気づくこともあるでしょう。

その時、少しまた立ち止まってみたらいいんじゃないかと思います。

結婚は、ある意味、人生最大の賭けです。失敗はあり得ることです。相手を非難し続けるよりも、自分を責め続けるよりも、今を一生懸命生きて、前を向いて、子ども達と生活を楽しみましょう♪

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++離婚した理由++

これをこのサイトにアップすることは、やめておこうと思ってきました。
でも、最近になって、やっと向き合えるようになってきたので書いてみようと思います。
   

**暴力**

夫婦間の暴力は離婚しにくいそうです。それも十分離婚理由になると思うのですが、自分さえ我慢したら、、、と思ってしまうようです。我が家の場合は娘達への暴力でした。具体的には、げんこつで頭を殴られる、髪の毛を引っ張られる、お尻を蹴られる、ベッドに引きずり倒されるなど。私が洗い物をしている時や外出中にやられたようです。恐くてあまり言い出せず、2度ほど訴えてきたのですが、「まさか!」と夫を問いただすと、夫は「なんで嘘つくのか?」と子どもを叱りました。当時小学校2年生だった娘は原因不明の胃痛や頭痛に悩まされたり、なにかきっかけがあると急に狂ったように泣き叫んで爆発したように「もういやだ!もういやだ!」と暴れるようになってしまいました。そのうち、私の前でも暴力が始まりました。「ちょっと!自分がいったい何をやってるのかわかってんの!!?」と泣きながら前夫をバコバコと叩きながら引き止めたこともあります。私は、まだ末っ子が赤ちゃんだったので、「2年後に離婚したいと思っている」と告白しました。それによって思い直してくれることも少し期待していました。しかし、その後、さらに夫のイライラが増してきたので、私は精神的に不安定になりました。心療内科では結局、自律神経失調症ということを言われました(最初はパニック障害も疑われたのですが、違いました。というか外出も人会うのも大好きなので。)。症状は更年期障害のように、動機・息切れ・異常発汗に始まり、早朝に覚醒して突然不安感が襲ってくるというものまでありました。心療内科へ私が行ったことで、暴力は止まりました。その時初めて、夫は謝ってくれたのですが後の祭りでした。

娘は今も、暴力のことを覚えています。次女(当時2〜3歳)ですら、記憶があり、説明してくれますが、聞けば聞くほど、なぜもっと早く子ども達のことだけを信じてやれなかったのかが悔やまれます。長女には「ママは助けてくれなかった」と時々言います。言えるだけましだと理解しています。

**虚言とずるさ**

前夫は嘘つきでした。私のお金を勝手に使い込んだことも、事業がうまくいかないことも、借金してしまったことも、出産育児一時金をねこばばしていたことも、子ども達に暴力を振るっていたことすら、すべて嘘をついてごまかします。私は夫と娘、どちらを信じたらよいのかわからず本当に悩みました。娘達を信じたら、夫が悪人になる。夫のいうことを信じたら、娘達は嘘つきになる。こんなことが何ヶ月続いたでしょうか?いつしか私自身の心が壊れていきました。離婚後は、自分の両親に借金の理由が私の家計の采配が悪いからだと伝えていたそうです。呆れます。

**働く意志の無さ**

とにかく平気で失業中もごろごろ。半年たっぷりと失業します。その期間、就職活動をするのはたったの4〜5日。後は、終止パソコンで新聞のコラムを入力してたり、テレビを見てるか寝てるか。家事を手伝うでもなく、家計を心配するでもなく。話そうとすると機嫌が悪くなりました。
結婚生活9年中、8つの仕事をしたことになります。長くて2年。最短で4ヶ月で、最悪の収入の年は年収が100万台の年もありました。そもそも働くことがあまり好きではないようでした。

**罪悪感の無さ**

さらにこれらの理由をいっても、それがなぜ悪いのか?みたいな顔でした。つまり罪悪感の無さです。私は何度も、この理由を伝えたはずなのですが、離婚後、話し合った時にまだ「やっぱり男は金ですか?」と言う。それはお金以外はOKの男が言う台詞です。(^^;

   

私は、前夫を人間的に信頼できずに離婚しました。浮気もあったし、借金もあったけど、それ以上に人間として、私は彼と寄り添えなかったのです。そばにいるとこちらまで気がおかしくなります。嘘で塗り固めた事実を押し付けてくるので、自分の方が間違っているのだろうか、と思えてくるのです。最後の1〜2年はかなり醜い心を持っていました。離婚した昨年(2002年)は本当に心から憎いと感じ、彼に似た匂いを電車の車内で匂っただけで、私は嘔吐しそうになり動機・息切れがしました。自分が選んだ人によって、自分や子ども達の、魂や心を傷つけ腐らせたことを恥じ、そして、彼との生活すべてを拒否したくなっていました。

今は、なぜ、あんな人を選んだか、自分の中の心の闇に気づきました。彼を選んだのは、私の中に打算があったからです。愛してた。それなりに。だけど、私は、「彼ならば、きっと私を幸せにしてくれるだろう。」と思ってた。私のその汚れた考えが彼のような人間を惹き付けてしまったのだと、今は考えています。

「彼とずっと一緒にいたい」ではなく
「彼なら、私を自由にしてくれる。彼は自分が彼を愛するよりも私を愛してくれてる。」
自分にとって都合がいいかどうかで判断していること事体、
自分から、闇の中に飛び込んでしまっているようなものです。

ことの発端は、その前の彼氏でした。純粋に愛し4年つきあってた彼との泥沼の別れで、自分の思いを、そして思い出を汚されたと感じた私は、とことん汚れるか、何かで逃れたいと考えていました。そこに、尽くしてくれそうな前夫が強引に結婚したいと言ってくれました。愛されてることに浸りたかった、だから私は彼を愛そうとしていました。でも、努力で愛することなんて限りがあります。つまり、私は、あくまでも自分が幸せになれるかしか考えていなかったのです。自己中な私が、自己中な人を選んでしまった結果なのです。

私の汚れた考えが発端だと気づいてから、私はある意味、とても気が楽になりました。私が悪いのだから、私が心を入れ替えていけばいい。そうすれば、いつか子ども達にも幸せが訪れる。彼のことはもう十分受け入れようとがんばったし、努力したということでは心残りはありません。問題はこれからどう生きるか、だと思っています。

辛い思いをさせてしまった子ども達のために、これから一生懸命がんばろうと思っています。
今は、前夫のことも、理解しようとか愛そうとかは思わないけど、いろいろあって、最悪の自分を出してしまっていただけかもしれない、と思うことにしています。また、あんな目にあっても、子ども達がパパを拒否するのではなく、「優しいパパになってくれること」を望んでいることを知り、私なりに『がんばるパパ』『やさしいパパ』に前夫がなってくれるように、他人として応援していこうと思っています。そのことが子どものために良いのなら。


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